規模感と立ち位置と向いている方向で視点は決まる

同じ問題を議論していても、人によって結論が違うことが往々にしてある。
最近で言えば、新型コロナウイルス対策がわかりやすいだろうか。
経済を優先して活動をするか、感染リスクを考え自粛をするか。
一つの問題に対して、相反する答えが出てくる場合、人によって着目しているポイントが異なる。
特に規模感の大きい問題の場合、どこに視点を置くかによって結論は180度変わることもよくある。
議論の噛み合わなさを外野から見ていて気になったので、考察してみた。

 

まず一番最初に考慮しないといけないのは規模感だろうか。
どのレベルの問題なのかに着目して見る必要があるだろう。
人で言えば、国レベルなのか、市町村レベルなのか、企業レベルなのか、家庭レベルなのか、個人レベルなのか。
先程例に挙げた新型コロナウイルス対策がややこしくなるのは、この規模感が全範囲に広がっているからだ。
各規模感のレイヤー(階層)ごとに最適化された方法は異なる上に、レイヤーごとに利害が対立することが往々にしてある。
まず自分が考えている規模感がどこにあるのかを認識することが大事だろう。

 

その上で、自分がどのポジション(立ち位置)に立っているかを把握する必要がある。
新型コロナウイルスの場合は、いち従業員なのか、政府としての立場なのかで考えることが変わってくるのはわかりやすいだろう。
そして他の意見をする人間がいる場合はその人のポジションも把握したほうがいいだろう。
各規模感、組織レベルのポジションをそれぞれイメージできれば衝突が起こる理由は想像しやすくなる。

 

更に同じポジションだったとしても、どこにベクトルが向けられているか(視点を向けているか)によって変わってくる。
先程の例から考えてみると、同じいち従業員からでも政府と個人に対してでは視点の向け方が変わってくる。
上向きなのか、フラットなのか、下向きなのか、自分のポジションからどのレイヤーにベクトルを向けているのかも重要な要素となる。

 

レイヤー、ポジション、ベクトル、この3つを把握せずに話を進めると、話が噛み合わず、食い違いが起きる。
難しいのは、普段人間は脊髄反射的に自分の意見を出すことがある。
そしてそれが正しいものだと思いこんでしまいがちだ。
これは人間である以上、どうしようもない部分なのかもしれない。
だからこそ、脊髄反射的意見がどのレイヤーのもので、自分のポジションからどこにベクトルが向いているのかを一息置いて考える必要がある。

 

認知のバイアスについては、ベストセラーのFACTFULLNESSがすごく参考になった。
新型コロナウイルス騒動でも、本に書かれたバイアスがいくつも出ているシーンが見られた。
自分の認知のバイアスをなるべく減らして、フラットに見る。
そのためにもレイヤーやポジション、ベクトルについても考えていかないとだめだなと感じる今日このごろだ。